2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧
本書は、昨年(平成二十六年)に他界された評論家松本健一氏が病床で手を入れたという、上下二巻に及ぶ渾身の大作で、松本健一氏の佐久間象山に対する傾倒ぶりが伝わってくる。 佐久間象山は、同時代人から「倨傲」「大法螺吹き」と評されている。残されてい…
歴史作家クラブに属する作家九人が、それぞれ新選組から異なる人物を取り上げた短編小説集。子母澤寛、司馬遼太郎以来、新選組は多くの作家が取り上げてきたため、読者の頭の中にイメージが固定化している。たとえば、豪放磊落な近藤勇、冷徹非情な土方歳三…
(観音教寺) 三里塚の御料牧場記念館の展示で、芝山の観音教寺に吾妻号の碑があることを知ったので、芝山町まで足を伸ばすことにした。 観音教寺仁王門 山武市松尾で触れたように、維新後掛川藩が転封されたとき、最初に藩庁を置いたのが、芝山の観音教寺で…
(三里塚記念公園) 三里塚交差点の近くに三里塚記念公園があり、公園内には三里塚御料牧場記念館や貴賓館などがある。 三里塚御料牧場記念館 三里塚御料牧場記念館は、御料牧場のありし日の姿をしのび、御料牧場の名を長くこの地にとどめることを目的として…
(内浜公園) 香取市の小見川の内浜公園は、佐藤尚中の生誕地を公園として整備したものである。佐藤尚中は、前名を山口舜海といった。山口家は小見川藩主内田候の侍医を務める家で、父は山口甫僊といった。文政十年(1827)、この地に生まれた。 史蹟 佐…
(諏訪神社) 東庄町は、「天保水滸伝」の舞台として知られる。諏訪神社には、天保水滸伝遺品館が併設され、「天保水滸伝」に登場する笹川繁蔵や平手造酒の遺品などが展示されている。遺品館の前には周辺の遺跡案内図があり、ここで情報を仕入れてから、市内…
(玉崎神社) 旭市の飯岡地区は、『天保水滸伝』で知られる飯岡助五郎の出身地である。助五郎ゆかりの史跡が点在している。 玉崎神社 玉崎神社の祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)。社伝によれば景行天皇紀の四十年…
(松尾中学校) 寒い朝のことであった。駅に向かう道路も所々凍結していたので、嫁さんに「子供たちも注意するように」とメールをした。 会社で仕事をしていると、携帯電話に嫁さんから連絡があった。自動車がスリップしてガードレールに激突。幸いにして嫁…
(日本学園中学校・高等学校) 明大前駅から徒歩約五分。住宅街の中に日本学園がある。 日本学園は、杉浦重剛が明治十八年(1885)、神田錦町に開いた東京英学校に端を発し、その後、火災のため麹町に移転。その時日本中学校と改称した。現在地に移転し…
(理性寺) 理性寺 理性寺は、京王線西永福駅のすぐ近くにある。 理性寺は、承応三年(1654)、大久保越中守忠辰、忠陰兄弟が両親の忠当(ただまさ)夫妻を開基として、その菩提のために創立したものである。寺名は夫妻の法名法真院殿・理性院殿に因んで…
(長延寺) 長延寺 港区三田4の長延寺は、すっかりマンション風の建物に建て替えられている。背後の墓地に平内(へいのうち)家の墓がある。 平内(大隅)家の墓 平内(家は、代々幕府の大棟梁作事方を務める家柄で、幕末の十代目当主平内延臣(大隅)は、…
(正徳寺) 正徳寺 品川宿の正徳寺は、幕末の勤王僧として知られる平松理準南園が住職をつとめていた。 平松理準は、寛政八年(1796)生まれ。高倉学寮で宗学をおさめるかたわら、頼山陽らに漢詩を学んだ。山内容堂や太田垣蓮月尼とも親交があった。明治…
(寂円寺) 対軒乙骨先生之墓 乙骨家之墓 乙骨太郎乙の墓を訪ねて、再び寂円寺に足を運んだ。厳密にいうと、寂円寺の墓を歩いたのはこれで三回目である。隅々まで歩いてようやく太郎乙の父、対軒の墓と「乙骨家之墓」を見つけた。残念ながら太郎乙の墓を特定…
(松応寺) 高円寺の南は、寺院が軒を連ねるちょっとした寺町になっている。その中の一つに松応寺がある(杉並区高円寺南2‐30‐1)。松応寺は明暦二年(1656)に浅草八軒寺町(現・台東区寿二丁目)に開創されたという寺伝を持つ寺院である。大正七年…
(興正寺) 興正寺 興正寺に角田忠行の墓を訪ねた。この日、三時間をかけて桑名市内を歩いた私は十分ヘロヘロであったが、気力を振り絞って平成二十六年(2014)最後の史跡をアタックすることになった。 地下鉄八事(やごと)駅を降りて地上に出ると、そ…
(十念寺) 成瀬家之墓(山崎八蔵の墓) 十念寺の成瀬家の墓には、新選組隊士山崎八蔵が葬られている。山崎八蔵は、本名を成瀬杢右衛門といい、桑名藩士でも上士であった。桑名藩主松平定敬が京都所司代に就くと、森常吉(陳明)とともに藩の公用人を務めた…