2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧
著者蜷川新博士は、明治六年(1873)に生まれ、昭和三十四年(1959)に八十六歳で亡くなった。つまり小栗上野介が没して五年後に生まれ、私が生まれる数年前に亡くなったということになる。本書は昭和二十八年(1953)に発刊された書籍の復刻版…
昨年末、三澤様より「新著出版のお知らせ」が届いた。「『江戸東京に遺る勝海舟の足跡』という書籍を上梓しましたのでご案内申し上げます」とあった。早速、書店で探してみたが見つけられなかったので、Amazonで取り寄せた。三百ページを超える分厚い本であ…
タイトルに惹かれて以前より読んでみたいと思っていたが、Amazonで取り寄せてみたら評論や歴史書ではなく小説であった。 筆者は、サラリーマンの傍ら小説や随筆などを手掛けている方である。水野忠徳を老中としたり、桜田門外の変に参加した薩摩藩士を有馬治…
「坂本龍馬と高杉晋作」を一冊にまとめた一冊である。「坂本龍馬と高杉晋作の等身大の二人が動乱の中をどのように考え、生きたか」を取り上げようというのは大学生の頃の著者の処女企画だったらしいが、正直に告白すると、読み終わってもどうしてこの二人を…
筆者の本職は歴史家ではなくてエッセイストである。歴史家の文章と比べればずっと読みやすくて、あっという間に読み終えることができた。それにしても、井上勝がイギリスの鉱山で汗だくになって採鉱作業をしたときの写真を終生手元に置き、困難に直面したと…
(柏駅東口駐輪場) 明治天皇柏御小休所 柏駅を東側に出てサンサン通りを東に進み、旧水戸街道(現・県道51号)と交わった辺りの植え込みの中に明治天皇柏御小休所碑がある(柏市柏4‐5)。明治十三年(1880)、寺嶋家に行幸したことを記念したもので…
(梅澤邸) 東漸寺の前の道をさらに南に行くと、右手に梅澤邸がある。住宅の前に明治天皇小金御小休所碑が建てられている。明治十七年(1884)、茨城県女化原(現・牛久市)で行われた近衛兵演習天覧のため、小金宿を通過した際に休憩をとった記念碑であ…
(相模第一マンション) JR松戸駅の西側数百メートルを流山街道(現・県道5号線)が走っている。その道を南進して春雨橋を渡ったところにあるマンションの奥に明治天皇松戸行在所碑がある。(松戸市松戸1779) 明治天皇松戸行在所 明治十七年(188…
(正山寺) 正山寺 竹様より「秋田の全良寺に何気なくあった旗本仁賀保家家臣の細矢源三について調べてみたら、三田の正山寺にお墓があるようです。そこは仁賀保家の菩提寺みたいですね。ぜひいってみてください!」と連絡があった。早速、翌週末正山寺まで…
(旗井) 明治天皇行幸記念碑 東海道線に続き、上野―高崎間が明治十七年(1884)六月に開通し、続いて東北本線の建設が計画された。この時、高崎線のどこで分岐させるかが課題となった。当時の鉄道局長官は、大宮案と熊谷案で費用・期間などを検討し、最…
(明治天皇幸手行在所) 明治天皇幸手行在所 東武幸手駅から徒歩五分程度、幸手駅入口交差点付近に明治天皇幸手行在所石碑がある。 明治九年(1876)六月の奥羽巡幸、明治十四年(1881)七月と同年十月の山形、秋田、北海道巡幸の際、さらに明治二十…
(南越谷) 明治天皇田植御覧之處 南越谷一丁目の一画に五つの石碑が並べられている。そのうち一番左手にあるのが、明治天皇田植御覧之處記念碑である。 明治九年(1876)六月三日、明治天皇の東北巡幸の際、当地に御車を停め、田植えをご覧になった。田…
(ブリリア草加グランスイート) 明治天皇草加行在所 草加駅近くのマンションの前に明治天皇草加行在所記念碑が建てられている。 明治九年(1876)および明治十四年(1881)の東北・北海道巡幸の際、谷古宇(やこう)村の名主を務めた大川弥惣右衛門…
(上野原本陣跡) JR上野原駅で下車して、高校生が歩いて行く方向についていくと、上野原の市街地に出る。ちょうどルートインホテルの裏手辺りが上野原本陣跡である。跡地は駐車場となっているが、屋敷門だけが残されている。隣接する民家の奥に「明治天皇…
(吉野宿) 聖蹟 藤野駅は随分と山の中にあるが、実は神奈川県相模原市に属している。我が八王子市もえらく広くて多くの人口を抱えた都市であるが、相模原市は面積人口とも八王子を上回る規模を誇る政令指定都市となっている。ひと言でいうと「ここまで相模…
(菅原神社) 菅原神社 国府津は大磯や小田原と並ぶ別荘地であった。明治には大鳥圭介や大隈重信がこの地に別荘を構えた。晩年を迎えた徳川慶喜も冬になると大鳥圭介の別荘で過ごしたといわれる。大鳥圭介の別荘は法秀寺に隣接する住宅地辺りにあったと推定…
(小和田) 明治天皇御小休所阯 茅ヶ崎市小和田の東海道に面した住宅の前に明治天皇御小休所阯碑が建てられている。明治元年(1868)十月十日、明治天皇東幸の途上、この地で小休をとったことを記念して、昭和三十六年(1961)に建立されたものであ…
(神明社) 神明社 下永谷神明社の本殿傍らに忠魂碑と西南戦争戦没軍人之碑がある。 忠魂碑 西南戦歿軍人之碑 忠魂碑は横浜市長平沼亮三の書。平沼亮三は政治家であり、日本体育協会長や日本陸上競技連盟会長、東京六大学野球連盟会長などを歴任し、のちに野…
(願成寺) 願成寺 願成寺前の道は保土ヶ谷道と呼ばれ、保土ヶ谷宿から戸部村、横浜村に通じる道である。この先の坂は、「くらやみ坂」という物騒な名前で、安政六年(1859)、横浜開港とともに取締のために関門が設けられていた。 くらやみ坂脇には、牢…
(伊勢山皇大神宮) 伊勢山皇大神宮 伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)は明治三年(1870)に政府と県が中心になって創建された神社である。境内に注目すべき石碑がいくつか建てられている。 横濱伊勢山碑 鳥居近くに建てられているのが横浜伊…
(正眼庵霊園) 手元の「明治維新人名辞典」には芝多民部の墓は市内の善導寺にあるとされている。善導寺の墓地は、ほとんどが葛岡霊園に移されており、そちらにあるものと推定された。竹さんが調べてくれて、葛岡霊園の善導寺墓地ではなく、加美町の正眼庵霊…
(松窓寺) 松窓寺 前回、大崎岩出山を訪ねた際にも松窓寺で戊辰殉難者吉岡今之助、曽根忠右衛門の墓を探したが、いくら歩き回っても見つけることができなかった。今回、竹さんに案内してもらって、両名の墓にようやく出会うことができた。曽根家の墓は墓地…
(タクロン公園) 五日市憲法草案者 千葉卓三郎出生之地 タクロン公園 栗原市志波姫の千葉卓三郎出生地は、整備されて公園となっている。千葉卓三郎が自称したタクロン・チーバーという名前に因んでタクロン公園と名付けられている。 公園には明治十九年(1…
(法圓寺) 法圓寺 法圓寺には参道入口に慰霊碑があり、墓地には慰霊碑にも名前の刻まれる今野大吉の墓がある。 戦没者慰霊之碑 戊辰戦争、日露戦争、支那事変そして太平洋戦争に至る戦争におけるこの地域出身の戦没者の慰霊碑である。背面に戦没者の名前が…
(桃源院) 桃源院 青木家之墓 誠孝院(青木与兵衛の墓) 青木与兵衛は志田郡松山の人。慶應四年(1868)八月二十日、磐城旗巻にて戦死。 法名碑によれば、享年二十九。「慶應三年」は「慶應四年」の間違い。 法名碑にある「誠孝院嚴勇良義信士」という…
(慈明寺つづき) 内海家之墓(内海市太郎の墓) 内海市太郎は志田郡竹谷村の人。慶應四年(1868)八月二十日、磐城駒ヶ峰にて戦死。傍らの墓誌によれば享年三十八。 壽良長遠誠禅定門(内海市太郎の墓) 内海家の傍らに内海市太郎の法名を刻んだ旧墓を…
(真観寺) 真観寺 大松澤家の墓所は、墓地でも端っこの林の中にある。そこにあると思っていかないと途中で諦めてしまうような場所である。その中央に仙台藩白河口軍事総督大松澤掃部輔の墓がある。 大松澤家の墓 大松澤掃部輔衝實之墓 以下、竹さんの「戊辰…
前回、マリンゲート塩釜まで行ったものの、目の前で浦戸諸島行きの船が出てしまい、寒風沢島に渡ることができなかった。今回はそのリベンジである。 午前中は岩切駅近くの関係会社にて仕事であった。何とか午前中で仕事を片付けて、昼前の電車で移動する手は…
(桜岡神社) 桜岡神社 地下鉄東西線の大町西公園で下車して地上に出ると、桜ケ岡公園という広い公園に出る。その中心に位置しているのが、桜岡神社である。 西公園の青葉通りに面した目立たない場所に明治天皇御駐輦碑が建てられている。 明治天皇御駐輦所…
謹賀新年 (中央近隣公園) 明治天皇行在所 能代市役所の北側、中央近隣公園に明治天皇能代行在所がある。明治十四年(1881)九月十三日、明治天皇が能代市内の渟城小学校に宿泊したことを記念したものである。「明治天皇行在」から下の文字は、摩耗が激…