2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読んで以来、弾左衛門のことが気になっていた。本屋の店頭でこの本を見つけ、迷わず購入した。 著者によれば弾左衛門は、「職名であるとともに人名」であり、弾左衛門とは制度であると喝破する。弾左衛門は、町奉行の配下にあって…
新聞に東京農業大学創立125周年記念「創設者榎本武揚を再評価する」シンポジウムの広告を発見し、早速申し込んだ。申し込んだ時点では受講できるかどうかは不明で、確定すればメールで受講券が送られることになっていた。特にくじ運が強い方ではないので…
先日、淡路島を巡り高田屋嘉兵衛ゆかりの地を歩いた。函館や神戸でも関連史跡に出会った。「菜の花の沖」を読んだのは、ざっと三十年も前のことで当時あまり鮮烈な印象が残らなかったが、改めて読んでみようという気になった。 やっぱり司馬遼太郎の小説は面…
(頂妙寺) 文久三年(1863)六月、上京した真木和泉守は、頂妙寺の塔頭を宿舎とした。日記には「長明寺」と記されている。 頂妙寺
(誓願寺) 誓願寺 法眼東洋山脇先生墓 誓願寺墓地の入口門前には、「山脇東洋解剖碑所在墓地」という石碑が建っている。墓所には、山脇東洋の墓がある。 山脇東洋(1706~62)は、江戸中期の漢方医。宝暦四年(1754)、所司代の許可を得て、京都…
(法雲寺) 河原町二条の法雲寺は、文久二年(1862)七月、中老格長井雅樂殺害に失敗した久坂玄瑞らが、家老浦靱負に自首し、同年八月、謹慎のため入った寺である。ともに謹慎したのは、寺島忠三郎、野村和作(靖)、堀真五郎、福原乙之進であった。浦の…
(島津製作所創業記念資料館) 島津製作所創業記念資料館 創業記念碑「源遠流長」 初代島津源蔵寿像 島津製作所は、島津源蔵(天保十年~明治二十七年)が創業した精密機器メーカーである。万延元年(1860)、源蔵はこの地に移り住み、家業である仏具の…
(NTT西日本京都支店西陣分館) 因州鳥取藩京都藩邸跡 実家の前の中立売通りを東へ行くと、堀川通りを越えた右手にNTT西日本があり、その前に京都市の建てた「因州鳥取藩京都藩邸跡」の駒札がある。 鳥取藩の京都藩邸は、古くは油小路下立売にあったが…
(内裏) 建礼門 母の手術の日となった。私も長男として立ち会うことにした。朝九時半に母が手術室に運ばれたのを見届けると、二時間ほど外を歩いた。 府立医大病院から御所は歩いて数分。私の記憶によれば、内裏と呼ばれる旧皇居は自由に見学出来たように思…
(安阿弥寺) 安阿弥寺 先祖代々之墓(竹岡たつの墓) 下京区西七条北西野町53の安阿弥寺墓地に竹岡たつの墓がある。竹岡家の墓が複数並ぶが、一番奥の「先祖代々之墓」にたつが葬られているそうである。 竹岡たつは、弘化三年(1846)生まれ。島原桔…
(是住院) 鳥取からの帰り、姫路、西宮名塩を回った後、少し時間があったので、西京区大原野の是住院の富岡鉄斎の墓を参ることにした。京都市内だが、長岡京市が近い(西京区大原野上里北ノ町1298‐4)。 それまで真夏の太陽が照り付ける好天だったのだ…
(JA兵庫六甲名塩) 緒方八重像 台座石に「蘭学の泉ここに湧き出ず」と記されている。 西宮市の名塩といえば、小学校時代に西宮市で過ごした私の個人的感覚では随分と遠い場所であるが、今や開発が進み立派なベッドタウンと化している。幕末、名塩に蘭学の…
(善導寺) 善導寺 贈従四位河合(惣兵衛)宗元君之墓 善導寺本堂前に河合惣兵衛の墓がある。河合惣兵衛は文化十三年(1816)の生まれ。和漢の学問に通じ、武芸にも連達していた。勘定奉行、宗門奉行、物頭持筒頭などを歴任。同志秋元安民とともに尊王を…
(泉龍寺) 泉龍寺 本圀寺にて重臣黒部権之介らを斬った因藩二十士は、黒坂(現・日野町黒坂)泉龍寺に幽閉された。今も二十士の遺品や遺墨が保存され、平成二十五年(2013)、本圀寺事件から百五十年を記念して、本堂前に「平成維新碑」が建てられてい…
(松江城) 松江城 久し振りの島根県である。これまで四十七都道府県を踏破した私であるが、全ての県庁所在地を歩き、残すは松江だけとなった。前日、鳥取県の米子に宿をとり、早朝松江に向かった。 松江城は、現存する十二の天守のうちの一つ。これで「現存…
(境台場跡) 境台場跡 境湊にも幕末鳥取藩の築造した台場がある。境台場は、文久三年(1863)に構築されたもので、広さ一・四五ヘクタールの地を土塁で囲み、土塁の上に十八斤砲二門、六斤砲一門、五寸法五門が据えられていた。これは同じ年に築かれた…
(御台場公園) 淀江台場跡 淀江台場は、藩内八カ所に設置された台場の一つで、境台場と同じく、松波宏元の設計で、宏元の父である今津村大庄屋松波宏年が土地を無償提供した。文久三年(1863)に完成後、松波が率いる農兵松波隊が守備した。現在残る遺…
(お台場公園) 由良台場跡 お台場公園は、東京の専売特許ではない。実は鳥取にもお台場公園がある。由良台場周辺は、テニスコートやゲートボール場、遊具広場などを備えた広大な公園となっている。さらに青山剛昌ふるさと館や「道の駅大栄」も隣接しており…
(西向寺) 西向寺 因藩勤王二十二士之碑 湯梨浜町松崎の西向寺本堂の前に因藩二十二士之碑が建てられている。幕末の松崎領主和田邦之助が藩内の勤王派を支援していた関係から、昭和二十七年(1952)この場所に建碑されたものである。石碑の前面には因藩…
(景福寺) 景福寺は、鳥取藩池田家家老荒尾志摩守家の菩提寺で、墓地には荒尾家代々の墓のほか、大阪夏の陣で戦死した後藤又兵衛基次とその妻子の墓や島原の乱に出征した藩主佐分利九允の墓など、歴史を物語る墓が多い。 景福寺 後藤又兵衛基次と妻子の墓 …
これまで全国四十七都道府県を踏破したと広言している私であるが、実は鳥取県の史跡は一つも探訪できていなかった。鳥取県を避けてきたわけでもないのだが、京都の実家からだとどうしても宿泊が必要になるので、なかなか鳥取県の史跡探訪に踏み切れなかった…
(浦富海岸) 浦富台場跡 お台場公園 黒船の来航に危機感を募らせた幕府は、各藩に海防の強化を命じた。これを受けて長い海岸線を持つ鳥取藩でも、文久三年(1863)、因・伯海岸の要地に計十一の台場を配備した。現在、このうち五か所(橋津・由良・淀江…
(山田風太郎記念館) 山田風太郎記念館 国道9号線を和田山から鳥取方面に走っていると、養父市街地を過ぎたところに山田風太郎記念館がある。山田風太郎は、大正十一年(1922)一月四日、養父市関宮に生まれた。代々続く医者の家系で、実父もこの地で…
(楽音寺) 楽音寺 いわゆるお盆のシーズンの週末ということもあって、どう考えても渋滞が予想されたので、早朝三時半に京都の実家を出た。ところが ――― 世の中の皆さんの考えることは同じで ――― 名神高速から中国自動車道に入る吹田ジャンクションではもう…
(醍醐寺) 世界遺産にも登録される醍醐寺は、天暦五年(951)に完成した京都最古の五重塔(国宝)をはじめ、多くの国宝や重要文化財を所蔵している(伏見区醍醐伽藍町)。応仁の乱や文明の乱で、五重塔を残して全て焼失したが、慶長三年(1598)、豊…
(大津宿本陣跡) 大津宿は、京都を出て最初の宿場であった。大阪屋嘉右衛門家(大塚本陣)と肥前屋九左衛門家の二軒の本陣と、播磨屋市右衛門の脇本陣を有し、街道筋には多数の旅籠が軒を並べていた。大津は、北国街道と東海道の合流地点でもあり、さらに湖…
(清涼寺) 長野義言先生之墓 この日、東近江の鯰江城まで歩き、さらに愛知川宿を探索して十分に疲れていた。そして両足の指にはマメができて歩くたびに痛んだ。彦根駅から清凉寺までの道のりは、いったいどこまで歩けばゴールなのかというほど遠く感じた。…
(愛知川宿) 中山道 愛知川宿 愛知川(えちがわ)は中山道の宿場の一つで、やはり文久元年(1861)、和宮東下の際にここで宿泊している。近江鉄道愛知川駅を降りて五~六分西へ行くと、昔の風情を残した街並みに出会う。残念ながら本陣の建物は残ってい…
(鯰江城跡) 鯰江城の最寄り駅は近江鉄道の八日市駅である。JR近江八幡駅から近江鉄道に乗り換えると、三十分ほどで八日市駅に行き着く。 ここでレンタサイクルを調達する予定で、下調べもしてきたのだが、その自転車屋さんのシャッターが下りたままであ…
(貞照院) 貞照院 碧南市へは東海道線刈谷で乗り換えて、名鉄線で三十分。碧南中央駅で下車する。事前調査では駅前で自転車を借りることができるはずであったが、実際に行ってみるとそれらしいものは影すら見つけられなかった。市が運営している無料の循環…