史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「「旧説vs新説」幕末維新43人」 安田清人著 MdN新書

本書は幕末維新期に活躍した著名な人物四十三人を取り上げ、旧来の人物像を新説で塗り替えようというものである。 たとえば、勝海舟は「西郷との膝詰め談判で江戸の町を戦災から救った」偉人として知られるが、最近では「「無血開城」の前交渉を行った山岡鉄…

「幕末大江戸のおまわりさん 史料が語る新徴組」 西脇康著 文学通信

同じ浪士組をルーツに持ちながら、新選組と比べて、新徴組の人気の無さは気の毒なくらいである。新選組が政治の舞台となった京都で華々しく活躍したのに対し、新徴組は江戸で治安維持にあたった。池田屋事件や禁門の変のような歴史的な事変に遭遇することも…

「花山院隊「偽官軍」事件」 長野浩典著 弦書房

「花山院」と書いて「かさのいん」と読む。手元の「明治維新人名辞典」では「かざんいん」と読んでいるので、どちらが正しいのか判断がつかないが、本書では「かさのいん」を採用している。 幕末の偽官軍事件としては、赤報隊、高松隊が知られるが、花山院隊…

大洲 Ⅲ

(寿永寺つづき) 大洲藩故大参事源朝臣山本尚徳之墓 山本尚徳の墓も、寿永寺の裏山にある。見つけた時はちょっとした感動であったが、後から思えばこれは序の口であった。この後、前回(十七年前)に果たせなかった国島六左衛門の墓を探して寿永寺の裏山を…

城川 Ⅱ

(古市公民館) 西予市城川町古市は、市村敏麿を生んだ街である。古市公民館の前に「市村敏麿生誕之地」と刻んだ石碑が建てられている。 市村敏麿は、天保十年(1839)、この地に生まれた。父は古市村庄屋市村芝治左衛門。土佐街道の要地に育った関係で…

宇和島 Ⅳ

(大超寺つづき) 本堂前には宇和島市教育委員会が昭和三十五年に建てた「末広鉄腸の墓」碑もある。 末広鉄腸の墓 伊能八代永憲夫婦之墓 (伊能友鷗(吉見左膳)の墓) 伊能友鷗は文化十四年(1817)の生まれ。宇和島藩参政中井筑後の弟で、のち吉見長左…

松山 Ⅳ

(日尾八幡神社つづき) 権少教正三輪田元綱墓 三輪田元綱の墓を求めて、再度日尾八幡神社を訪問した。浄土寺で三輪田米山の墓を発見したが、そこに元綱の墓はなく、ほとんど諦めかけていた時、日尾八幡神社に戻ろうとしたら、その傍らに元綱の墓があった。…

今治 Ⅱ

(観音寺) 観音寺 観音寺で菅周庵の墓を探したが、発見に至らず。菅家の墓は三~四つ見つけたのだが…。 管周庵は文化六年(1809)、今治藩医の家に生まれた。幼少の頃から貫名海屋について儒学を学び、弘化年間には上坂して緒方洪庵について蘭学を、高…

小松 Ⅱ

(仏心寺) 仏心寺 仏心寺は、小松藩の二代藩主一柳直治により、その父初代藩主直頼の七回忌にあたる慶安三年(1650)に、一柳家代々の菩提寺として建立された。江戸時代を通じて境内の拡充が図られ、明治以降も小松藩ゆかりの建物が移築されている。 一…

伊奈

(桂全寺) 伊奈町の桂全寺の最寄駅は、埼玉新都市交通株式会社 ニューシャトルの終着駅内宿である。 ニューシャトルは大宮駅から内宿までの12・7キロメートルを、約三十分余で結んでいる。大宮の次の駅が鉄道博物館駅である。まだ息子が小学校低学年だっ…

与野

(一本杉) 一本杉 一本杉の仇討跡 与野駅(JR京浜東北線)近くを走る旧中山道沿いにKids Duoさいたま副都心という施設がある。その前に一本杉と刻まれた石碑が建てられている。 万延元年(1860)、下総国津宮の沖合の船中で、水戸藩士宮本佐一朗と讃…

北浦和

(廓信寺) 廓信寺 一本杉で討ち取られた河西祐之助は、観音寺に葬られたが、その後、観音寺は廃寺となり、現在、墓石は廓信寺に引き取られて、供養されている。山門前に「観音寺縁故者供養塔」が建てられているが、その一番右端にあるのが河西祐之助の墓で…

蕨 Ⅲ

(河鍋暁斎記念美術館つづき) 二か月前に訪問した際には休館だった河鍋暁斎記念美術館を拝観することができた。蕨駅前から蕨市が運営しているコミュニティバスが通っているが、待てどもバスが来ない。時刻表には「15」と書いてあったので、てっきり十五分…

水戸 城南 Ⅳ

(妙雲寺つづき) 慶應元年(1865)三月二十四日、赤沼牢にて武田耕雲斎の家族の処刑が行われた。その日、死罪となったのは、耕雲斎の妻とき四十八歳、倅桃丸(九歳)、金吉(三歳)、長男彦衛門の倅三郎(十二歳)、金四郎(十歳)、熊五郎(八歳)。 …

水戸 偕楽園 Ⅳ

(茨城県立歴史館つづき) 贈正五位小堀寅吉君墓 看板も案内もないが、茨城県立歴史館の旧茂木家住宅の裏に小堀寅吉の墓がある。 小堀寅吉は、天保十四年(1843)の生まれ。下野訓芳賀郡高岡村の出身であるが、幼時水戸に移って成長し、藩士谷忠吉の家従…

ひたちなか Ⅷ

(上高場共同墓地) 木名瀬庄三郎の墓 上高場郷土墓地に木名瀬家の広い墓所がある。その中に木名瀬庄三郎の墓がある。 木名瀬庄三郎は、文化七年(1810)の生まれ。諱は全能。常陸那珂郡高場の郷士であり、横目役を務めた。弘化元年(1844)、藩主徳…

日立 Ⅳ

(河原子台場跡) 河原子台場跡 河原子の河原子旅館の駐車場の前に河原子台場跡説明板が建てられている(日立市河原子町2‐2‐24)。 河原子台場は、水戸藩が建造した七つの海岸防備施設の一つ。台場には大砲が三門備えられ、海防農兵が配置されて海岸防備…

常陸太田 Ⅵ

(梶山家墓地) 付近を自動車で走っていると、梶山弘志氏の政治ポスターが目に付く。梶山氏は、先日発足した岸田文雄新総裁のもとで幹事長代行に登用された。この辺りは梶山氏の地元である。 梶山家墓地入口に「天下の魁」と刻まれた巨大な石碑が建てられて…

常陸大宮 Ⅵ

(緒川小学校) 緒川小学校 井樋政之允の墓は、緒川小学校(常陸大宮市上小瀬751)の正門から南へ五十メートルほど行った道路際にある。 井樋政之允の墓 井樋政之允は、享和二年(1802)の生まれ。常陸那珂郡上小瀬村の郷士で、横目付に任じられ、一…

笠間 Ⅷ

謹賀新年 (盛岸院) 盛岸院は、笠間藩主牧野家の菩提寺である(笠間市笠間2664)。牧野家の墓所は、広い墓地ではなく、本堂の脇から石段を昇った先にある。 牧野家墓所には、正面に「牧野家歴代之墓」、その背後に藩祖牧野儀成の墓石があるほか、右手に…