2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧
(銀座四丁目) 成醫会講習所跡 東京慈恵会医科大学発祥之地 銀座4‐4‐2の松屋通り沿いの植栽の中に隠れるように小さな碑が置かれている。この石碑は、明治十四年(1881)、男爵高木兼寛がイギリス医学教授を目的にこの地に成医会講習所を開いたことを…
(川村家墓地) 裏高尾 川村家墓地 来年(令和三年(2021))の大河ドラマの主役は渋沢栄一だという。新札の肖像に渋沢栄一が登場するというニュースも相俟って書店には渋沢栄一関連本が並ぶようになった。 渋沢栄一は若い頃、挙兵して高崎城を奪い、横…
(護国寺つづき) 富田家之墓 富田家之墓 富田鐵之助の墓を探して、護国寺の墓地を歩き回った。富田家の墓は五つほど見つけたが、鐵之助の墓と特定することはできなかった。 一つ目の富田家の墓は昭和五十五年(1980)に建てられた比較的新しいもの。二…
(宝生院) 宝生院 日下開山横綱力士人幕久五郎碑 三田の宝生院の境内を入って右手に陣幕久五郎の碑が建てられている(港区三田4‐1‐29)。右は大関陣幕島之助の碑である。 なお、陣幕は現在も引き継がれている年寄名跡の一つであるが、陣幕久五郎を祖と…
(光取寺) 光取寺 最寄り駅は地下鉄白金台駅だが、住所は上大崎である(品川区上大崎1‐5-10)。墓地に十二代横綱陣幕久五郎の墓がある。 横綱力士 陣幕久五郎圡師通高墓 陣幕久五郎は、文政十二年(1829)の生まれ。十九歳の時、尾道の初汐久五郎の…
(雑司ヶ谷霊園つづき) 坂崎家之墓 (坂崎紫瀾の墓) 坂崎紫瀾は嘉永六年(1853)、土佐山内家の医師坂崎耕芸直弘の二男に生まれた。長じて斌(さかん)と名乗った。墓石の背面に「斌 大正二年三月四日」と没年月日が刻まれている。慶應三年(1867…
(連光寺つづき) 山口泉處之墓 三年前に山口泉処の墓を探して連光寺の墓地を歩いたが、発見できずに諦めた。そのまま放置していたが、先日吉盛智輝様から「連光寺にある」という情報をいただいたので、もう一度歩いてみることにした。今回は開始して五分ほ…
(大手町パークビル) 内務省跡 千代田区大手町1‐1‐1の大手町パークビルの前にこの地に内務省があったことを示す説明板が建てられている。 内務省は明治六年(1873)、大久保利通の主導によって設置された機関で、地方・警察・土木・宗教など広範な行…
(浜離宮恩賜公園つづき) 延遼館跡 延遼館は、イギリス王子が国賓として来日することを契機に、外国要人の迎賓館として明治二年(1869)五月に建てられた。明治十二年(1879)七月には、アメリカのグラント将軍(第18代アメリカ大統領)が、約二…
(ありがた山) ありがた山 「但馬の殿様」の著者吉盛智輝氏より稲城市に「ありがた山」という墓石の墓場があるという情報をいただき、早速休みの日に行ってきた。自宅から四十分たらずのドライブである。稲城市矢野口3159の山の斜面にぎっしりと古い墓…
(京都府庁つづき) 明治天皇行幸所京都府庁碑 府庁正門前の茂みの中に行幸記念碑がある。明治二十年(1887)一月二十九日の行幸を記念したものである。 明治天皇御駐輦所合薬會社阯 京都府警察本部別館前に、明治十年(1877)二月一日、明治天皇が…
(京都市教育相談総合センター「こどもパトナ」) 明治十年(1877)六月二十八日の明治天皇の行幸を記念したもの。この日、明治天皇は上京と下京の小学校二校の授業を視察している。 高倉宮趾明治天皇第廿九組小学校碑
外出自粛が続いているので、過去撮りためた写真から未公開のものをご紹介させていただきます。 (桜坂二丁目) 中央区桜坂二丁目の閑静な住宅街の中に加藤司書の屋敷跡を示す石碑が建てられている。 加藤司書公屋敷跡 (浄慶寺) 浄慶寺には、安田喜八郎の墓…