2023-01-01から1年間の記事一覧
「日本から持参した書籍は全部読んでしまった」と思い込んでいたが、よくよく探してみるとまだ手を着けていない本が一冊残っていた。それが「洋装の日本史」である。「近代服飾史」という馴染みの薄い分野に関する本であったが、意外と興味深くあっというま…
昭和四十三年(1968)、つまり明治百年の年に初版が刊行され、それから三十年を経た平成十年(1998)に同じ創元社より再刊された書籍である。筆者古川薫氏(故人。平成三十年(2018)没)が「増刷のためのあとがき」にて「私は改訂の必要は感じ…
この本を読み終えるのにほぼ二カ月を要してしまった。言い訳としては、「近代教育史」という、個人的にはあまり馴染みのない分野の書籍であり、読み解くのに時間を要してしまった。我が国において天皇や天皇制について考えることは、自ずと個人のイデオロギ…
筆者は歴史研究者であると同時に現役の海上自衛官である。本書は単なる歴史的叙述にとどまらず、現代の軍事専門家としての視点で幕府海軍を解析したものである。 例えば第二次幕長戦争における大島口の戦闘に関する解説。 ――― 異なる軍種が協同して行う作戦…
(日本人墓地公園) 今回二泊三日でシンガポールに赴いたのは、昔シンガポールに勤務した時のローカルスタッフと会食することと、当時所属していたソフトボールチームの仲間と会うこと、合わせてソフトボールの練習に参加することが目的であった。 もう一つ…
結局、リヨン行きのTGVの遅れは一時間以上となった。やはりこの列車も満席であった。 明治五年(1872)九月二十六日、岩倉使節団とは別に司法省の視察団がマルセイユに上陸している。一行は八名(河野敏鎌、岸良兼養、鶴田晧、川路利良、沼間守一、名…
(デクス凱旋門) ここから先は、史跡訪問とは関係なく、マルセイユ市内の観光地を歩き回った記録である。 デクス凱旋門 デクス凱旋門(Porte d'Aix)は、マルセイユ・サン・シャルル駅から歩いて五分。 パリでもそうだったが、フランスでは浮浪者が街にあふ…
ボルドーからマルセイユまで、鉄道は通じているものの、TGVが走っているわけではなく、所謂在来線で六時間もかかる。だったら一旦パリに戻って、リヨン経由でマルセイユに出るとか、飛行機で移動することも考えたが、どの方法をとっても所要時間は変わり…
(カイヨ門) カイヨ門は1495年に建造されたという歴史あるもので、かつてボルドーの街のメイン・ゲイトであった。 カイヨ門 (Porte Cailhau) (聖ピエール教会) 聖ピエール教会 聖ピエール教会(Église Saint-Pierre)の歴史も十五世紀くらいまで遡…
電光掲示板にて発車番線を確認 ボルドー行きのフランス版新幹線TGV(Train à Grande Vitesse)は、パリ・モンパルナス駅から出る。昨日のフォンテンブロー行きでの失敗があったので、少し早めにホテルをチェックアウトして駅に向かった。 パリ・モンパル…
(フォンテンブロー城) フォンテンブロー庭園 岩倉使節団は明治六年(1873)一月十九日にフォンテンブロー城まで赴いている。当時既に蒸気機関車がフォンテンブローまで通じており、一行はこれを利用している。駅からは馬車にて王宮まで移動している。 …
(ヴェルサイユ宮殿) パリを訪れる旅人が必ず行く二大人気スポットがヴェルサイユ宮殿とモン・サンミッシェルである。今回とにかく幕末の使節団や岩倉使節団の足跡にこだわった結果、モン・サンミッシェルはスキップして、岩倉使節団も訪れたヴェルサイユ宮…
(サントゥスタッシュ教会) 以下は史跡訪問の合間に私が立ち寄ったスポットの紹介である。パリには魅力的な場所が数えきれないほど存在している。 サントゥスタッシュ教会 (Église Saint-Eustache) 地下鉄Chatelet Les Halles駅近くに立つカトリック教会…
(ペール・ラシェーズ墓地) ペール・ラシェーズ墓地正門 午前八時に開門 明治六年(1873)一月十日、この日の午後、岩倉使節団は市内の墓地を訪ねている。久米邦武は〈地名ヲ問フヲ失ス〉と書き残しているが、恐らく市内最大の墓地であるペール・ラシェ…
(モンパルナス墓地) モンパルナス墓地で、鮫島尚信、入江文郎、楢崎頼三という三名の日本人の墓を掃苔する。広大な墓地で目当ての三名の墓を探し当てたときは、人知れず満足感を覚えた。 鮫島尚信(なおのぶ)は、弘化二年(1845)の生まれ。薩摩藩士…
(シャン・ド・マルス公園) シャン・ド・マルス公園(Champ de Mars)は、慶応三年(1867)のパリ万博の会場となり、以後1937年まで計五回の万博会場となっている。この公園の突き当りに有名なエッフェル塔が建っているが、エッフェル塔(Tour Eiff…
(ブローニュの森) ブローニュの森(Bois de Boulogne)は、パリの西に拡がる広大な公園である。その面積は約850ヘクタールを誇り、マロニエやカシワ、カエデ、アカシアなどの木々が植えられている。公園の南には全仏オープン・テニスで有名なローラン・…
(ホテル・ルーヴル) ホテル・ルーヴル 竹内保徳を正使とする文久遣欧使節団が宿泊したのが、ルーヴル美術館に近接するホテル・ルーヴル(現・Hôtel Du Louvre - The Unbound Collection by Hyatt)である。 せっかくだから一泊だけでも、と一瞬考えたのだ…
(パレ・ブロンニャール) パレ・ブロンニャール 慶應三年(1867)、パリ万博に参加するために徳川昭武とともにパリを訪れた渋沢栄一は、銀行家エラールに証券取引所に案内される。当時の証券取引所は現在パレ・ブロンニャール(Palais Brongniart)とい…
フランスは文久年間および慶應年間に幕府が使節団を送り、さらに明治五年(1872)には岩倉使節団が二カ月ほどパリに滞在している。幕末明治日本と浅からぬ縁のある国である。彼らの足跡を追ってパリから旅を始めることとしよう。夏のパリは、日が長い。…
教科書に必ず載っている大塩平八郎の乱だが、意外とその実態は知られていない。本書は大塩平八郎の乱を最新の研究成果を踏まえて詳述したものである。 本書の末尾には六ページに渡って大塩平八郎の檄文現代語訳が掲載されている。大塩は第一に「上に立つ者が…
(光善寺) 光善寺 この日は豊田市駅前のビジネスホテルのロビーに9時集合であったので、愛知環状鉄道の始発電車に乗って岡崎周辺の史跡を巡った。最初の訪問地は、西岡崎駅(JR)近くの光善寺である。深見篤慶(あつよし)の墓がある。 深見藤十篤慶之墓…
ペリー来航から太平洋戦争に至る約九十年にわたる日本外交の歩みをわずか二百ページ余りに凝縮した一冊。 明治日本にとって大きな外交問題は条約改正であった。条約改正とは具体的には法権回復(領事裁判権の撤廃)と関税問題(関税自主権の回復もしくは関税…
(富部神社) 南区呼続(よびつづき)四丁目の冨部(とべ)神社は、慶長八年(1603)、清須城主松平忠吉が創建したといわれる。慶長十一年(1606)、病気快癒の報恩のため、本殿、祭文殿、拝殿、回廊などを寄進し、さらに神宮寺として天福寺を建てた…
(南陽神社) 南陽神社 名古屋市港区の南陽中学の南にある南陽神社は、日清戦争以後の戦死戦病死者を祀る神社である。大正十二年(1923)、靖国神社から分霊を受けた。当時は南陽忠魂社と称していた。 鬼頭景義・勘兵衛宅跡 境内には鬼頭景義・勘兵衛宅…
(東ノ宮神社) 東ノ宮神社 名古屋市瑞穂区神穂町の東ノ宮神社では、狭い境内に大正期に建てられた明治天皇覧穫之所碑と昭和になって建てられた明治天皇八町畷御野立所碑がある。 明治天皇覧穫之所 題字は尾張徳川家の第十九代当主徳川義親(松平春嶽の五男…
(ファミリーマート中川富川町店) 明治天皇御駐蹕之所 この日、新居浜から名古屋に移動し、名古屋駅近くのビジネスホテルに宿泊した。岡山からの新幹線がよりによって信号故障により十五分遅れとなった。十五分程度の遅れであれば、まったく気にならないの…
(浄光寺) 浄光寺 明治天皇 佐屋 行在所 津島市片町の浄光寺門前に明治天皇の行在所が置かれたことを記念した石碑が建てられている。 (大地主神社) 大地主神社 津島市埋田町の大地主神社には、聖蹟碑と明治天皇御小休紀念 椿と刻まれた石碑がある。 この…
(清洲宿本陣跡) 清洲宿本陣跡 清洲宿は、当初一場桑名町に置かれたが、寛文八年(1668)、火災に遭い、現在地(清州二丁目)に移された。直ぐ近くに再建された清須城がある。以来、この本陣は将軍上洛、大名参勤、勅使や朝鮮・琉球使節の参府、時には…
(佐藤牧山碑) 佐藤牧山碑 稲沢市祖父江町の神明社の北側に佐藤牧山碑がある。佐藤牧山が当地で生まれ、旧宅跡があったことを示すものである。 この後、祖父江町郷土資料館で佐藤牧山関係史料を見学して行こうと思って、付近を探したが、どうやらそのような…