2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
維新後、勝海舟が江戸城無血開城のことを繰り返し語り、あれで江戸が戦火を免れたと信じられているが、実際にはその数カ月後に上野を舞台に彰義隊と官軍の戦争があった。戦争といっても、わずか一日で片が付いてしまったため、やや印象が薄いが、実は太平洋…
(大頭神社) 大頭神社 広島市内の掃苔を終えると、次は隣接する廿日市の二つの史跡をアタックした。千人塚は、広島岩国道大野ICを出てすぐ、大頭神社の門前にある。 千人塚 慶応二年(1866)六月、この辺りは第二次幕長戦争の際、約二か月にわたり激…
(聖光寺) 東広島での史跡三昧の一日を過ごした夜、広島へ移動してそこで車中泊することになった。広島は大都市であるが、どういうわけだか車中泊の定番「道の駅」が周辺に少なく、ネットで検索すると「マリーン公園」くらいしかヒットしないのである。マリ…
(酒蔵通り) 平成最後の日、すなわち連休四日目、竹さんご夫妻と合流して二日目は、東広島市の郷土史研究会のMさんのご案内で神機隊関係の墓を巡るというディープな一日であった。 前日、福山から神石高原、庄原、因島、竹原、安芸太田と回って、RVパー…
(真教寺) 広島市内から安芸太田町までおよそ五十キロメートル、高速道路を使っても一時間のドライブとなる。真教寺の川本久次郎の墓を訪ねるためだけに、はるばると安芸太田まで往復することになった。安芸太田は、山に囲まれた町で、北西部は島根県の益田…
(神峰寺) 神峰寺 因島は、かつて因島市と呼ばれる独立した行政区であったが、現在は尾道市の一部となっている。西瀬戸自動車道(しまなみ海道)で尾道とも実質的に陸続きとなっており、決して孤島ではない。島の東側の椋浦地区にこの地区出身の青木忠右衛…
(忠海八幡神社) 忠海八幡神社 竹原市忠海(ただのうみ)町の八幡神社に池田徳太郎の顕彰碑がある。 池田徳太郎(号は快堂)は、天保二年(1831)に忠海町の医者池田元琳の長子として生まれた。幼くして神童と呼ばれ、八歳にして入野村の清田黄裳の塾に…
(光縁寺) 光縁寺 光縁寺の本堂前に渡辺他人之丞の墓がある。渡辺他人之丞は、安芸藩應変隊。慶応四年(1868)九月二日、岩代栃沢村にて戦死。四十歳。日光の龍蔵寺、東京の泉岳寺の広島藩合葬墓にも葬られている。 渡辺他人之丞墓
(神石高原ホテル) 幕末維新という時代に活躍した人物ではないが、このところ伊能忠敬という人に惹かれている。伊能忠敬は五十歳を越えて、十七年という歳月を測量という事業に身を投じ、精緻な地図を完成させた(ただし、「大日本沿海與地図」の完成は伊能…
(福山城) 前日は岡山市内にホテルをとった。翌朝、七時半に福山駅で竹様と約束していたが、その前に福山駅周辺を散策するため、まだ日が登らない四時半に起床。五時十五分発の岡山駅始発に乗って福山に移動した。個人的にはほぼ十五年ぶりの広島県下の史跡…
(西原) 長尾君之墓 岡山市北区建部町西原にはJR津山線が南北に貫いているが、線路の西側の山裾の共同墓地に長尾亀八の墓がある。墓地の場所は極めて分かりにくいが、墓地まで行きつけば、長尾の墓には官修墓として石造りの鳥居と玉垣が設置されており、…
(行信) 温知館跡 温知館は、明治七年(1874)に、山田方谷の塾生矢吹正誠がこの後背地に設立したもので、方谷は開校式に望み「論語」を講じた。塾名は方谷の命名である。 (大戸) 知本館の碑 美咲町大戸下の吉井川にかかる橋のたもとに知本館の碑があ…
(日本原) 安達清風の屋敷跡 安達清風の屋敷跡の案内板は、国道53号の南側に立っている。安達清風は明治十一年(1878)、初代勝北郡長に就任して日本原の開拓を志し、鳥取藩士など五十四名がこの地に入植した。洋式の農具を使い、桑・茶・楮・ニセア…
(貞永寺) 従五位櫻井新三郎墓 今回の岡山県下の史跡巡りで最大の収穫は、鏡野町貞永寺の桜井新三郎の墓であった。 情報としては、貞永寺に新三郎の墓があるというだけで、あとは現地で探すしかない。それらしい場所を歩いてみたが、そう簡単に見つかるもの…
(新見市役所) 丸川松隠と山田方谷 新見市役所の前に師丸川松隠と子供時代の山田方谷の像がある。 丸川松隠(1758~1831)は、新見藩の藩校思誠館に招かれて、多くの人材を育てた。山田方谷もその愛弟子の一人で、五歳の時に松隠の塾に入り、約十年…
(山田方谷記念館) 山田方谷像 久しぶりに高梁市の郷土史料館を訪ねたところ、その隣に山田方谷記念館が開設されていた。あとで調べたところ、この記念館がオープンしたのは、わずか数か月前のことで、まだ真新しい施設である。入館料は大人五百円。六十五…
(正福寺) 正福寺 倉敷市藤戸町天城の正福寺には、戊辰戦争で戦死した岡山藩の斎藤小十郎の墓がある。本堂向かって右手にある鳥居を備えた墓がそれである。 忠哉軒殉難勇猛居士 (斎藤小十郎の墓) 斎藤小十郎は銃隊司令。慶応四年(1868)八月二十九日…
(沼) 大節玄忠居士(内藤恵三郎の墓) 沼地区の山の斜面の共同墓地に、戊辰殉難者内藤恵三郎の墓がある。官修墓特有の玉垣で囲まれているので、遠くからでも直ぐに分かるだろう。 内藤恵三郎は岡山藩銃卒。慶応四年(18868)五月十五日、江戸根津にて…