史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「タウンゼント・ハリス -教育と外交にかけた生涯」 中西道子著 有隣新書

今更ながら、幕末に来日した外国人は、いずれも日本にとって恩人である。同じアメリカ人であるが、知名度では鎖国の扉をこじ開けたペリーが勝るが、我が国への貢献度でいえばハリスの方が上回るのではないか。 生涯独身を貫いたハリスが最初にエネルギーを注…

「山田方谷の夢」 野島透著 明徳出版社

巻末のプロフィールによれば、著者野島透氏は、山田方谷六代目の直系子孫にして、財務省の官僚という方である。ついでにいえば、昭和三十六年(1961)生まれというから、この私と同い年ということになる。本書でも当時の備中松山藩の藩財政を解説する下…

東赤坂 Ⅱ

(曽根城公園) 梁川星巌紅蘭像 華渓寺に隣接する曽根城公園には、梁川星巌、紅蘭夫妻の像がある。

大野

(所郁太郎顕彰碑) 贈従四位所郁太郎君記念碑 岐阜北郊の大野は所郁太郎の養家があった街である。所郁太郎は、天保九年(1838)美濃赤坂に生まれたが、十一歳のとき医師所伊織の養子となってこの地に転居した。十五歳で西洋医学を学び、十八歳で京都へ…

岐阜 Ⅱ

(岐阜城) 明治大帝聖像 岐阜といえば、「鵜飼い」である。鵜飼いの歴史は古く、遡れば飛鳥時代(一世紀半ば頃)「隋書倭国伝」に鵜飼いの記述が見られるそうである。 明治十一年(1878)、岩倉具視を伴って北陸巡幸の途中、明治天皇が鵜飼いを御高覧に…

犬山 Ⅱ

(犬山城) 木曽川を天然の外堀として築かれた犬山城白亜三層の天守は、国宝に指定されている。元和二年(1616)尾張藩の付家老成瀬家が犬山三万五千石の城主となって以来、明治に至るまで代々成瀬家が城主を引き継いだ。慶應四年(1868)正月、よう…

亀山

(亀山城) 年末年始は親戚が岐阜市の長良川温泉に集合するというので、末娘を乗せて高槻の実家から岐阜に向かった。途中、三重県下亀山と桑名に立ち寄って史跡を訪ねることとした。 伊勢亀山城の起源は古く、十三世紀関氏が築城したことに始まる。その後、…

桑名 Ⅱ

(顕本寺) 中村彰彦の小説「闘将伝 小説立見尚文」を読んで以来、もう一度桑名を訪問したいと思っていたが、意外と早くそのチャンスがやってきた。この日のターゲットは二つ。顕本寺の服部半蔵正義の墓と、光明寺の町田武須計の墓である。 顕本寺 服部半蔵…

御陵大枝山

(西念寺) 西念寺 西念寺は、かつて中京区六角裏寺町にあったが、西京区御陵大枝山の新興住宅街に移転している。移転に伴って古い墓石もこの地に移された。中村武生著「池田屋事件の研究」(講談社現代新書)によれば、西念寺は西川耕蔵の菩提寺であるが、…

樫原 Ⅱ

(樫原 勤王家殉難之地) 小泉家 「勤王家殉難之碑」のある場所で、長州藩御用達小泉仁左衛門が油商を営んでいた。当時使われていた油壺が展示されている。仁左衛門は、尊王攘夷を論ずる私塾を開いていたが、森田節斎や梅田雲浜といった急進的な学者も出入り…

嵐山 Ⅱ

(車折神社) 車折神社 車折神社は、平安時代後期の学者、清原頼業を祀る。社伝によれば、後嵯峨天皇が社前を通りかかった際に、突如牛が動かなくなり、御車の轅(ながえ)が折れたことから、この名が付いたという。境内には芸能神社があり、有名無名の芸能…

嵯峨野 Ⅲ

(土佐四天王像) 土佐四天王像 右から中岡慎太郎、坂本龍馬、武市瑞山、吉村寅太郎。この四人を称して土佐四天王という。 土佐四天王像は、以前木屋町の土佐藩邸跡にあったものが、いつしか撤去されて近年この場所(嵯峨野の落柿舎近く)に引っ越してきた。