2025-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「花山院「偽官軍」事件」に続く長野浩典氏の著書。明治初年の明治政府による一連の攘夷派弾圧事件を解明し、奇兵隊脱退騒動から久留米藩難事件(大楽源太郎暗殺)に至る様々な事件――― 日田県騒動や二卿事件、廣澤参議暗殺、雲井事件、初岡事件等々 ―――を見…
(ビショップウェアマウス墓地) ニューカッスル市内からMetroで約四十分、サンダーランド(Sunderland)に至る。この日の目的地ビショップマウス墓地Bishopwearmouth Cemetery(Chester Road, Sunderland)の最寄駅Millfieldで下車し、そこから西へ一本道。…
(タインマス灯台およびタインマス城) 岩倉使節団は、タインマス灯台Tynemouth Lighthouse(Tynemouth, タインマス North Shields)も訪れている。「米国回覧実記」では「タインマウス」と表記されている。 ――― 此処モ頗ル一庶村ニテ、岸上ニ男女群立シ、我…
ニューカッスル周辺には地下鉄があって、ヘップバーン(Hebburn)やタインマス(Tynemouth)へはこれを利用するのが便利である。一日乗車券を買うのが経済的かつ便利。料金はゾーン制になっているので注意が必要である。 (ヘップバーン駅) 明治五年(18…
(ニューカッスル駅) 岩倉使節団がニューカッスル(漢字では新城)に入ったのは明治五年(1872)九月十九日のことである。その日の夜九時半にニューカッスル駅(Neville St, Newcastle upon Tyne)に到着し、市長らの出迎えを受けた。 ――― 「ニュー・カ…
(ダーリントン西墓地) ダーリントン西墓地での目的は、土佐藩から留学生に選ばれ、不慮の事故で命を落とした深尾貝作の墓を詣でることである。 深尾貝作は、馬場辰猪、真辺戒作、国沢新九郎、松井正水らとともに、明治三年(1870)七月に土佐藩の留学…
(市庁舎) シェフィールドは漢字で「舌非力」である。明治五年(1872)九月二十七日から十月一日まで、五日間に渡って岩倉使節団はシェフィールドを視察している。シェフィールドでは、鋼鉄製造場、刃物製造場、銀銅細工場などを見学しているが、いずれ…
(マンチェスター大学) 同日、使節団はオウン学校を訪問している。オウン学校とはオーウェン・カレッジ=現・マンチェスター大学(Oxford Rd, Manchester)のことと思われる。 ――― 是ハ二十年前ニ建タルモノニテ、当今生徒三百余人アリ、先ツ教師ノ室ニ至リ…
(マンチェスター駅) 岩倉使節団がリバプールからセントヘレンズを経て、マンチェスターに入ったのは、明治五年(1872)九月二日のことである。「米欧回覧実記」では「漫識特」と表記されている。マンチェスター駅(Piccadilly Station Approach, Great…
(ラディソン・レッド・リバプール・ホテル) 岩倉使節団は約一か月のロンドン滞在の後、汽車でリバプールに移動している。彼らがリバプールに到着したのは、明治五年(1872)八月二十七日、夜十時半のことであった。彼らは駅に近接するノースウェスタン…
(チェスター大聖堂) 岩倉使節団は約三か月をかけてイギリス各地を巡り、ロンドンに戻る前日の明治五年(1872)十月九日、チェスターに立ち寄っている。一行はまず裁判所を案内された。「米欧回覧実記」で「近郡にて高名なる建築」と紹介されている。残…
(クルー駅) ユーストンから二時間ほどでクルー(Crewe)という駅に着く。ここでチェスター行きに乗り換えねばならない。クルーは西に向かう列車、直進してそのまま北に向かう列車、北東に進む列車が分岐する要衝である。 実は岩倉使節団もクルー(「米欧回…
(ケンジントン・ガーデン) ケンジントン宮殿(Kensington Palace)は、かつてチャールズ皇太子とダイアナ妃が住んでいたことで知られる。今は王室コレクションを中心に公開されている。 岩倉使節団は、明治五年(1873)七月十六日、ケンジントンの博覧…
この日の目的地、オタリー・セント・メアリー(Ottery St..Mary)は、ロンドン市街から凡そ250キロメートルも西に行った小さな街である。列車でパディントン(Paddinton)を出て約ニ時間。エクセター(Exeter)という比較的大きな街に至る。エクセターは…
イギリスは幕末にラザフォード・オールコックやハリー・パークスといった辣腕の外交官を日本に送り込み、欧米の外交団の中でも主導的な役割を果たした。幕府も複数にわたって遣欧使節団を派遣し、明治五年(1872)の岩倉使節団も長期にわたってイギリス…