史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「ええじゃないか」 西垣晴次著 講談社学術文庫

幕末も押し迫った慶應三年(1867)の十一月、のちに「ええじゃないか」と呼ばれた集団的乱舞が各地で発生したことは良く知られている。本書は昭和四十八年(1973)に初版が刊行され、その八年後に再版されたものを底本として、凡そ五十年の歳月を経…

「河鍋暁斎戯画集」 山口静一 及川茂編 岩波文庫

先日も埼玉県蕨市にある河鍋暁斎記念美術館を訪れたばかりである。決して我が国の画壇における評価は高いとはいえないが、個人的にはこのところ妙に気になる存在となっている。 暁斎の特徴は、何といってもその多彩な画風であろう。伝統的な日本画から水墨画…

「頭山満」 嵯峨隆著 ちくま新書

頭山満は、安政二年(1855)に生まれ、終戦直前の昭和十九年(1944)に八十九歳の天寿をまっとうした。言わば、明治維新から敗戦までの歴史を繋いだ人物の一人である。 この人物には「右翼の巨頭」という形容がつきまとう。彼は一貫して反英米を主張…

狭山

(沢口上墓地) 竹さんの「戊辰掃苔録」によれば、狭山市笹井の国道468号狭山日高IC付近にある沢口上墓地に、飯能戦争で戦死した津志常蔵の墓がある。今回、伊勢崎、深谷、熊谷を回った帰路、狭山に立ち寄ってこの墓を訪ねることにした。 津志常蔵年行…

熊谷 Ⅶ

(元素楼) 行啓記念碑(元素楼跡) 深谷市玉井に行啓記念碑が建てられている。明治二年(1869)、蚕糸業の先駆者である鯨井勘衛は屋敷内に三階建ての大蚕室「元素楼」を建て、清涼育と呼ばれる養蚕技術の指導を行った。元素楼には昭憲皇后と英照皇太后…

深谷 Ⅶ

(岡部六弥太忠澄の墓) 岡部六弥太忠澄は、武蔵七党の一つ、猪俣党の出身で、猪俣野兵衛時範の孫、六太夫忠綱が榛沢郡岡部に土着して岡部氏と称した。 六弥太忠澄は、忠綱の孫で、源義朝(よしとも)の家人として、保元・平治の乱に活躍した。特に待賢門の…

伊勢崎 Ⅱ

(紅厳寺跡) 泰量院殿大寛樂善大居士(跡部良弼の墓) 伊勢崎市宮子町の紅厳寺跡墓地に跡部良弼(よしすけ)の墓がある。 跡部良弼は、唐津藩主水野忠光の五男に生まれた。文政六年(1823)、西丸小姓組から中奥番となり、文政八年(1825)使番に進…

藤岡

(高山社跡) 国指定史跡 高山社跡 高山社は明治十七年(1884)に設立された養蚕改良高山社の創始者高山長五郎の生家で、長五郎はこの地で養蚕法の改良や普及教育などを行っていた。 私が訪れた時、新型コロナ感染症拡大対策のため臨時休館中であった。…

神川 Ⅲ

(金讃神社) 神川町二ノ宮の金讃(かなさな)神社は、延喜式神名帳にも名を残す古社である。かつては武蔵国二の宮と称され、地名の二の宮はこれに由来している。鬱蒼とした森に囲まれ、清浄な空気に包まれている。 金讃神社 木村(九蔵)翁頌徳碑 最初の鳥…

坂戸 Ⅲ

(大智寺) 坂戸市石井の大智寺は広い境内を持つ寺院である。本堂は教会のような建物である。広い墓地の一番片隅に井上淑蔭(よしかげ)の墓がある。 雨は降ってくるし、蚊の攻撃は容赦なく、極めてストレスフルな掃苔となった。井上淑蔭の墓の写真を撮り終…

本庄 Ⅳ

(塙保己一旧宅) 塙保己一旧宅 関越道を北上して、本庄市に入ると小さな看板が現れるが、そこに描かれているのが塙保己一である。本庄市出身の有名人と問われても、なかなか思い浮かばないが、その中にあって塙保己一は教科書にも載っている全国区の著名人…

館林 Ⅴ

(善長寺つづき) 善長寺 長山家之墓(長山甚平の墓) 長山甚平は天保九年(1838)の生まれ。藩主移封の後を追って弘化三年(1846)、父とともに館林に移り、藩校に入って経史を学び、逸才の誉れがあった。のち同藩長山甚兵衛の嗣となり、大目付に挙…

間々田

(間々田八幡宮) 間々田八幡宮 間々田八幡宮の創建は古く、約千二百有余年前の天平年間に勧請されたものと伝えられている。 JR宇都宮線間々田駅からは四キロメートルほど離れているので、間々田八幡宮までタクシーを使うことにした。運転手さんは、あまり…

小諸 Ⅱ

(平和公園) 明治天皇御駐輦趾 御幸町の平和公園に明治天皇駐輦跡碑が建てられている。公園といっても、この石碑と殉国観音像が置かれているだけの戦没者慰霊施設であり、遊具などは一切ない。閑散とした空間である。雑草が伸びていて長らく手入れがされて…

東御

(田中) 本陣小田中邸 明治十一年(1878)九月七日、明治天皇は田中宿の本陣小田中邸にて小休をとった。現在、本陣跡には、往時の門が残されているほか、庭先に小休所碑が建てられている。 明治天皇田中御小休所 (牧家) 明治天皇牧家御小休所 東御(…

上田 Ⅱ

(県立上田高等学校) 上田藩主屋敷門と堀跡 長野縣上田高等学校 現在の上田高校の敷地は、かつての藩主屋敷の跡に当たる。同校東側の表門と、その両脇につづく土塀・堀・土塁は、昔の面影をよくとどめている。関ヶ原の合戦の後、真田信之が上田に入ったが、…

坂城

(坂城宿ふるさと歴史館) 坂城宿ふるさと歴史館は、北国街道の宿場町として栄えた坂城宿や坂城を本拠地とした戦国武将村上義清の関連資料を展示する施設である。入口に立つ長屋門は、坂城宿本陣があった当時のもので、町指定有形文化財になっている。コロナ…