2025-02-01から1ヶ月間の記事一覧
先日「日本医家伝」を読んで、同じ作者の「雪の花」を読みたいと思い立ち、テト休暇で帰国した際に書店で入手した。ハノイへ戻る便の中で読み終えてしまった。文庫で180ページという薄っぺらいものだが、読後感は重い。 基本的な筋立ては、「日本医家伝」…
平成二十八年(2016)に逝去された佐々木克先生の遺した名著。本書は平成十三年(2001)に刊行され、昨年復刊されたものだが、四半期を経た今なお輝きを失っていない。 本書の肝は、「東京遷都令」と呼べるようなものが出されなかったことから、従来…
(若王子墓地つづき) 前回同志社墓地を訪ねたのは十五年前のことであった。その後、大河ドラマで「八重の桜」が放送されたことも影響したのかもしれないが、墓地に通じる道は舗装され、随分と歩きやすくなった。それでも若王子神社から二十分、登坂を歩くと…
(真如堂つづき) 倉橋泰顕、泰聡の墓を探して、真如堂の墓地を歩き回った。諦めて墓地を出ようとした時、目の前に倉橋家の墓が現れた。 倉橋家之墓 正二位子爵安倍朝臣泰顕卿(倉橋泰顕の墓) 倉橋泰顕(やすてる)は、天保六年(1835)の生まれ。父は…
(吉田神社御本宮) 吉田神社は、貞観元年(859)に平安京の守護神として創建された古社である。鎌倉時代以降、吉田家が代々神職を相伝し、室町末期には吉田兼倶が吉田神道を起こして幕末に至るまで大きな権勢を誇った。 幕末の吉田家の当主は吉田良熈(…
(京都芸術大学) 吉田松陰像 京都芸術大学の創設者徳山詳直氏(故人)は、吉田松陰に傾倒し、そのため京都芸術大学のキャンパス内に松陰像が建てられている。 この像を見るために京都芸術大学に進入した。岡倉天心像の横の階段を昇るとその中腹に松陰像があ…
(厳島神社) 厳島神社 叡山電鉄鞍馬線市原駅を降りて、歩いて数分という場所に厳島神社がある。境内には明治天皇御製が建てられている。 明治天皇歌碑 めにみえぬ神のこころにかよふこそ 人の心のまことなりけれ この歌は、明治四十一年(1908)、「神…
(京都府立植物園) 京都府立植物園 楠の並木 小野蘭山顕頌碑 小野蘭山は江戸中期の本草・博物学者。享保十四年(1729)、京都の塔之段桜木町(現・京都市上京区)に生まれた。二十五歳のとき身体虚弱のため仕官の道を諦め衆芳軒という私塾を開いた。春…
(稱念寺) 原敬による陸奥宗光敬慕碑 原敬は、陸奥が外務大臣の折、外務次官だった関係で、陸奥の没後十年に建てた石碑である。 夕日岡(夕陽丘)命名の地 小松帯刀墓所跡 夕日岡阡表碑 夕日岡阡表碑は、陸奥宗光が実父伊達宗広の行実を漢文で述べたもの。…
(天下茶屋公園) 地下鉄堺筋線の終点天下茶屋駅は、往時紀州街道上にあり、太閤殿下あるいは天下人豊臣秀吉に因んで「天下茶屋」と呼ばれるようになった。天下茶屋には、明治天皇にまつわる二つの石碑がある。 天下茶屋公園 明治天皇駐蹕遺址 慶應四年(1…
(関目高殿駅) 関目高殿駅前に立つ明治天皇聖躅碑は、かつて関目神社の境内に明治天皇御駐輦之跡碑と並んで建てられていたものである。 慶應四年(1868)三月二十三日、明治天皇が滞在した西井茶屋の跡である。 明治天皇聖躅 (関目神社) 関目神社 明…
(京橋口) 明治天皇聖躅 京橋口交差点の近くに明治天皇聖躅碑が建てられている。側面には「砲兵工廠」の文字が見える。今も砲兵工廠の(旧化学分析工場の)建物が、幽霊屋敷さながらにそこに建っているが、立入はできない。 明治十年(1877)二月十四日…
(坐摩神社) 坐摩(いかすり)神社は神功皇后が新羅より帰還した際、淀川南岸の大江田簑島の渡辺の地に奉祀させられたことに始まる。天正十年(1582)、秀吉の大阪築城の際、替地を命じられ、寛政年間に現在地に遷座した。神社の目の前の通りは「渡辺筋…
(大阪府立江之子島文化芸術創造センター) かつてこの場所に大阪府庁が置かれており、そこに明治天皇が巡幸したことを記念した石碑が建てられている。 明治天皇聖躅 舊大阪府廰 明治十年(1877)二月十五日、明治天皇が滞在した大阪府庁跡。明治七年(…
(三井倉庫㈱関西支社ビル) 土佐堀の三井倉庫㈱関西支社の建物の北西の角に明治天皇聖躅碑が建てられている。 明治天皇聖躅
(NTTテレパーク堂島第二ビル) テト(旧正月)休暇が一週間も続く。その間、ハノイ市内のレストランやスーパーなどは軒並み閉まってしまう。タクシーで移動しようとしても、ほとんどつかまらない。生活にも支障があるし、何より退屈なので、この時期はハ…