2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧
「北の墓」と同じ著者による「墓巡り」の本である。著者は北海道の出身で、北海道を拠点に著作活動を続けているが、本書は対象を全国区に広げている。自ずと、西郷隆盛や高杉晋作、勝海舟、吉田松陰、近藤勇といったビッグネームばかりが並ぶが、墓を前にそ…
(常光寺) 常光寺 常光寺は、清水谷公考が本陣を置いた寺院である。コンクリート製に建て替えられており、往時をしのぶことはできないが、広い境内は昔のままだろう。 (三内霊園) 新幹線の新青森駅から南に一キロほど行くと、大きな霊園がある。これが三…
(藩境塚) 現在も二本又川が野辺地町とその隣の平内町の町境となっているが、江戸時代、津軽藩と南部藩の境界であった。境界を示す塚が、津軽藩領側と南部領、それぞれ二基ずつ、計四基築造されている。築造年代は不明。 藩境塚 (町立中央公民館) 野辺地…
(海峡いさり火公園) 海峡いさり火公園 新島襄寄港記念碑 むつ市から三十キロメートル以上離れるが、ここから一時間足らずのドライブで風間浦の海峡いさり火公園に達する。海辺に造られたこの公園には潮の干満により海水を引き入れる仕組みになっている池が…
(北洋館) 北洋館 海上自衛隊の大湊基地に隣接して北洋館という建物がある。この石造りの建物は、大正五年(1916)、海軍大湊要港部の水交社として建築されたものである。水交社とは、明治九年(1876)に海軍省の外郭団体として創設された海軍士官…
(高聲寺) 高聲寺 暑い日であった。茨城県坂東市には鉄道が通じておらず、公共交通機関としては路線バスがあるのみである。高聲寺に行き着いた時には汗が止まらなかった。 官軍先鋒 長門藩 田中甚吉藤原利一之墓 田中甚吉藤原利一之墓 山門左手に長州藩田中…
(大日堂) 松澤良作の墓を訪ねて、寄居の大日堂を訪問した。本堂に向い合うように松澤家の墓所があり、その一角に「松澤正景」と記された墓石が良作のものである。 大日堂 松澤正景(良作)墓 松澤良作は、富田村(現・埼玉県寄居町)の出身。文久三年(1…
(大胡) 大前田英五郎の墓 先日、大前田の大前田英五郎の墓を訪ねたところであるが、同じ前橋市内大胡の墓を訪問した。最寄駅は上毛鉄道の大胡(おおご)駅。向町の交差点の少し東側に墓地があり、その前に「大前田英五郎の墓」と記された大きな石碑が建て…
(古久長旅館) 草津温泉へは、関越自動車道から西に八十キロメートル程。決して交通至便なロケーションではないが、温泉街はいつも大勢の観光客、湯治客で賑わっている。 古久長旅館 草津温泉の古久長(こくちょう)旅館は、佐久間象山が正妻のお順(勝海舟…
(民宿山市屋) 民宿山市屋 デシャルム大尉宿泊記念碑 みなかみ町から草津温泉郷に向かう途中、暮坂峠を越えた辺りに民宿山市屋がある。外から見た限り、営業はしていないようであるが、オーナーの趣味だろうか、建物の周りにちょっと鬱陶しいほど記念碑や文…
(大般若塚) 大般若塚は、旧三国街道上にある十字路で、街道を横切る路を昇れば猿ヶ京、下れば法師温泉へ通じる。その昔、この付近で幽霊が出没して往来の旅人を脅かし、ついには死人が出るような有り様であった。これは風雪等によって三国峠で命を落とした…
(大野原墓苑) 「悠遠」 吉村昭の墓 関越自動車道を湯沢ICで降りると出口の手前左手に墓地が見える。これが大野原墓苑である。そこに見えているからといって、直ぐに行き着けるというわけではなく、辺りを走り回ってようやく到着した。ここに作家吉村昭が…
(本門寺 つづき) 清雲院殿芳光日潜居士(阿部潜の墓) 阿部邦之助(諱は潜)は、天保十年(1839)、幕臣阿部遠江守正蔵の三男に生まれた。長兄は白河藩を継いだ阿部正外。慶応三年(1867)寄合から目付に進み、慶應四年(1868)二月、辞任した…
(清浄華院) 清浄華院 故従一位藤原俊克之墓(坊城俊克の墓) 母が通う府立大学付属病院のちょうど向い側が清浄華院である。待ち時間に清浄華院の墓地を歩いた。 坊城俊克の墓である。坊城俊克は、享和二年(1802)京都の生まれ。父は権大納言坊城俊明…
(知恩寺) 知恩寺 百万遍の交差点の北側に知恩寺の広大な境内が広がる。本堂の裏手に墓地があり、その中に鹿野安兵衛こと菊屋峰吉の墓がある。 菊屋峰吉は本屋の子で、坂本龍馬と中岡慎太郎が近江屋で暗殺されたとき、龍馬に「軍鶏肉を買ってくるように」言…
(妙泉寺) 妙泉寺 至心院殿廣譽正穀明義居士 (永持亨次郎の墓) 妙泉寺は、幕臣永持亨次郎(こうじろう)の墓がある。法名の穀明は、亨次郎の諱である。 永持亨次郎は、文政九年(1826)、幕臣の家に生まれた。天保十三年(1842)、学問所にて講釈…
(錦小路高倉) 浅見絅斎邸址 錦小路沿いに浅見絅斎邸址を示す石碑が建てられている。 浅見絅斎は、承応元年(1652)の生まれ。江戸中期の学者で、名を安正、号を望南楼と称した。京都の山崎闇斎に入門。佐藤直方、三宅尚斎とともに崎問三傑といわれた。…
(東本願寺伏見別院) 会津藩駐屯地跡(伏見御堂) (大手橋) 坂本龍馬 避難の材木小屋跡 慶応二年(1866)一月、寺田屋に滞在中の坂本龍馬を幕吏が襲い、お龍の急報により窮地を脱したシーンは、今や時代劇でもクライマックスの一つとなっている。龍馬…
(西大谷廟) 南無阿弥陀佛(中島家の墓) 中島家の墓となっているが、墓標には「西村家先祖代々」と記されている。西本願寺の寺侍で、明治二十二年(1889)に「新撰組始末記」を著した西村兼文が合葬されている墓である。 島田龍章(左近)之墓 墓碑銘…
(雙林寺) 京都在住の母が、動脈硬化の手術を受けることになり、医者から「息子さんにも説明を聞いて欲しい」といわれ、月曜日に休みをとって京都まで往復することになった。その日、大事な会議があったが、休んだことで困惑したのは私の代わりに会議に出る…
(知恩院) 因藩 加須屋貞蔵武門墓 奥田萬次郎信實墓 鳥取藩の内紛による、いわゆる本圀寺事件の討手のうち、奥田万次郎は、事件の直後、知恩院塔頭良正院竹の間で自刃した。知恩院の本堂裏手、勢至堂と一心院の間に墓地があり、石段を登り切ったところが少…