2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧
本書の原本は、平成元年(1989)に刊行されたもので、つまり今からざっと三十年前に書かれたものである。当時はまだマルクス的唯物史観の「砲煙」が残っている時代であり、本書も「ブルジョアジー」とか「市民革命」などといった言葉が頻繁に登場し、時…
高校生の頃、試験に出ないことは重々承知していたが、とにかく歴史的知識に飢えていて、歴代天皇をひたすら暗記したものである。歴代天皇だけでなく、歴代の足利将軍や徳川将軍も当たり前のように諳んじていた。今となっては、朝会った人の名前が、夜には思…
(寄居) 明治天皇山中御小休所 那須町寄居まで来ると、福島県境が近い。旧奥州街道沿いの民家の前に明治天皇の小休所を示す石碑が建てられている。 明治十四年(1881)、明治天皇の山形、秋田両県および北海道巡幸の際、同年八月七日、および還幸の際の…
(御殿山公園) 大田原市佐久山の御殿山公園は、佐久山城跡に作られた公園で、四季折々の花が楽しめる。 御殿山公園 史跡 佐久山城跡 佐久山城は、文治三年(1187)、那須資隆(すけたか)の二男泰隆が築城し、以後佐久山氏を称して居住した。子孫の佐久…
(さくらミュージアム荒井寛方記念館) 平成十七年(2005)三月、氏家町と喜連川町が合併し、さくら市が誕生した。それまで「ミュージアム氏家」という名前で運営されていた博物館も、「さくらミュージアム荒井寛方」と改名された。荒井寛方は、さくら市…
(中禅寺湖) 中禅寺湖・明治天皇御製 日光まではこれまで何度も訪れているが、中禅寺湖や華厳の滝となると、記憶がない。ひょっとしたら高校時代の修学旅行以来かもしれない。 中禅寺湖畔には、明治天皇の御製碑が建てられている。 伊はねふみ のぼりて見れ…
(七里) 明治天皇七里御小休所 明治天皇七里御小休所 明治天皇七里御小休所は、明治九年(1876)、東北巡幸の帰途、七里村に立ち寄った際に御小休所となった場所である。
(今市宿市縁ひろば) 今市宿市縁ひろばと命名されているが、どこにでもありそうな観光駐車場である。その片隅に明治天皇小休所記念碑が建てられている。 明治天皇御小休之蹟 (大日堂跡) かつて菩提ヶ原には大日如来の堂があった。慶安二年(1649)、…
(栃木高校) 養正寮 栃木高校の正門を入って右手に洋風の建物がある。明治四十三年(1910)九月の東宮陛下(のちの大正天皇)の来校を記念して、大正三年(1914)に建てられた記念図書館(養正寮)である。 一階は図書室、二階は同窓会の集会場とし…
(洞雲寺) 梅雨の晴れ間を狙って栃木県下の史跡を巡った。最初の目的地は佐野市船越町の洞雲寺である。洞雲寺には、西園寺公望篆額木村翁之碑銘がある。 木村翁とは、木村高静(源兵衛)のこと。文化元年(1806)に生まれ、明治十六年(1883)没し…
(藍香尾高惇忠生家) 旧尾高家長屋跡 尾高惇忠生家の前にかつて尾高家の長屋があった。長屋は昭和四十年(1965)頃、少し離れた場所に移築された後、平成十五年(2003)前後、取り壊された。現在、跡地は石の基壇がある以外、何も残されていない。 …
(深沢家屋敷跡) あきる野市深沢7番地に所在している深沢家屋敷跡地である。跡地に屋敷は既になく、五日市憲法が発見された土蔵のみが残されている。 江戸中期以前の深沢家の沿革は詳らかではないが、江戸時代後半より土地集積を行い、山林地主として大き…
(犬目) 犬目宿 犬目も甲州街道の宿場町である。往年賑やかだった宿場町も、今や高速道路や国道から離れた場所にある寒村である。 やはり明治十三年(1880)の行幸の際、明治天皇が休息をとった本陣跡地に石碑が建てられている。残念ながら本陣の遺構は…
(森武七墓碑) 的翁了端信士(森武七の墓) 森武七(武七)は、下和田村次左衛門とも呼ばれる。天保七年(1836)の郡内の農民により端を発した、甲斐一国の農民一揆となった天保騒動(郡内騒動)の中心的人物である。郡内の農民たちと国中の米穀商へ交…
(黒野田) 笹子は大月市に合併されて、現在は大月市笹子町となっている。黒野田宿は笹子峠の難所を控える宿場町であった。 本陣跡には明治天皇行在所趾碑が建てられている。明治天皇が当地に宿泊したのは、明治十三年(1880)六月十八日のことであった…
(勝沼小学校) 勝沼学校跡 現在勝沼小学校のある場所に、明治十三年(1880)、勝沼学校があった。勝沼学校は、勝沼町と等々力村の学校として建てられ、木造二階建て、一階には車寄せ、二階にはベランダを備えたE字型の校舎であった。明治十三年(18…