史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧

「清水次郎長」 高橋敏著 岩波新書

先日、同じ著者の本で「国定忠治」を読み終えたばかりであるが、今度は「清水次郎長」である。同じ著者が同じ博徒を取り上げた本でありながら、読後感は正反対である。国定忠治が血塗られた生涯を送り、最期は衆人環視の中、壮絶な磔刑に処されたのに対し、…

「警視庁草紙」 山田風太郎著 角川文庫

明治維新から西南戦争までの十年間、この時代は幕末動乱の余震がなお続き、日本は未だ激動期にあった。幕末に活躍した人たちも当然生きていたし、一方でこれから新しい時代に活躍する人物も既にこの世に生を受け、活動を始めようという時期でもあった。だか…

虎ノ門 Ⅳ

(大阪屋砂場) 食べ物に何のこだわりもない私が薀蓄を述べるのも片腹痛いが、日本の蕎麦には、「藪」「更科」「砂場」という三系統がある。「砂場」というのは、大阪築城の際に資材置き場用の砂場に二軒の蕎麦屋があったため、俗称として砂場と呼ばれること…

人形町 Ⅱ

(小春軒) 小春軒 三澤敏博「江戸東京幕末維新グルメ」によれば、山県有朋が作り上げた椿山荘や古稀庵で料理長を務めた小島種三郎は、その後山県家の女中頭であった春と結婚し、夫婦で日本橋に西洋料理屋を開業した。因みに屋号の「小春軒」とは、小島の「…

本郷三丁目 Ⅲ

(壺屋総本店) 壺屋総本店 壺屋総本店(文京区本郷3‐42‐8)は、寛永年間に創業されたという和菓子の老舗である。あの勝海舟も壺屋を贔屓にしていたが、幕府が倒壊すると、多くの店と同じく壺屋も店を閉じようとしていた。これを知った海舟は閉店を思い…

護国寺 Ⅳ

(大塚先儒墓所) 吹上稲荷神社 豊島ヶ岡墓地の東隣に大塚先儒墓地がある(文京区大塚5‐23‐1)。この墓地は、徳川秀忠らに仕えた人見道生の邸宅跡で、寛文十年(1670)に道生が没したときに邸宅内に埋葬したのがその始まりといわれる。寛政の三博士…

西麻布 Ⅲ

(龍圡軒) 佛蘭西料理 龍圡軒 西麻布1‐14‐4の龍圡軒は、乃木希典が愛用したフランス料理店である。岡沢精や西郷従道もこの店に足繁く通ったという(三澤敏博「江戸東京幕末維新グルメ」竹書房)。

青山霊園 補遺 Ⅵ

(青山霊園 つづき) 1種イ2号21~22側 贈正三位勲二等故特命全権公使鮫嶋尚信墓 鮫島尚信は弘化二年(1845)薩摩藩医の家に生まれた。文久元年(1861)、オランダ医学研究性として長崎に遊学し、ついで英学を何礼之、瓜生寅に学んだ。慶応元…

東吾妻

(大戸関所跡) 大戸関所は信州街道の要点を抑える重要な関所である。寛永八年(1632)に設置された。信州街道は草津温泉を始めとする湯治客、善光寺参り、北信濃の三候の廻米や武家・商人の荷物、各地の産物の輸送路として、中山道を凌ぐほどの活況を呈…

志賀高原

(蓮池) 蓮池 東京では日に日に秋の色が濃くなってきたが、志賀高原は秋真っ盛りであった。紅葉を写真に納めようという人、秋のハイキングを楽しもうという人で、志賀高原周辺は賑わっていた。せっかくなので、私もカメラマンに交じって蓮池の写真を撮った…

角間温泉

(ほなみ村農業公園) 嘉永年間、三ヵ村利用掛に任命された象山は、佐野の風土と民情を愛し、ここに「煙嵐勝處」と名付けた別荘を作ろうとした。計画は頓挫して別荘が建てられることはなかったが、そのことを記念した自然石の石碑が建立されている。 この石…

湯田中渋温泉 Ⅱ

(温泉寺) 弘化三年(1846)、佐久間象山は、藩から帰国の上、郡中横目役を命じられた。このとき、鞜野、佐野、湯田中の三ヶ村利用掛にも任命され、前後四度当地を視察している。 温泉寺 象山の『鞜野日記』によれば、嘉永元年(1848)六月十二日、…

松代 Ⅳ

(願行寺) 願行寺 願行寺参道沿いに石碑がいくつか並んでおり、その中の一つが鎌原桐山碑である。碑の表面は摩耗してほとんど読めない。側面には漢文が刻まれているが、こちらも欠落、ひび割れ、摩耗がひどく、読み取れない。 鎌原桐山碑 (大林寺) 大林寺…

松代 Ⅲ

(山寺常山邸) 山寺常山邸 山寺常山は文化四年(1807)の生まれ。生家は知行百六十石の中級の藩士であった。世子の傳として江戸に赴き、兵学・漢学を学び、佐藤一斎、中村敬宇、藤田東湖らと交わった。天保十二年(1841)、藩主真田幸貫が老中とな…

千曲 Ⅱ

(満照寺) 嘉永三年(1850)七月、出府した象山は、江戸深川小松町の松代藩邸に身を置いて、そこで砲術教授に携わることになった。藩でもこれを支援し、ここに鉄砲の製造所を設けた。象山の声望は藩外にも知れ渡っており、松代藩士のみならず、他藩から…

上田 丸子

(向陽院) 向陽院 三連休を無為に過ごすのはもったいない。嫁さんに懇請して、一日自動車を使う赦しを得た。このところ、連日好天が続いていたが、私が遠征を計画したその日だけが雨の予報であった。恐らく世間では運動会シーズンを迎えており、この日を楽…

愛川

(龍福寺) 先日、月形町の樺戸集治監跡や篠津囚人墓地の熊坂長庵の墓を訪ねてきたところである。今回は、藤田贋札事件の主犯として逮捕され、樺戸集治監に送られた熊坂長庵の出身地、愛川町中津を歩いて、長庵の足跡を探してみたい。 といっても、何も足係…

石狩

(浜益) 浜益区川下の荘内(庄内)藩陣屋跡である。安政六年(1859)、幕府は蝦夷地を奥州六藩に分け与え、その警備を命じた。庄内藩はハママシケを含む日本海に面する西海岸一帯(留萌・苫前・天塩など)四十里に及び地域を拝領した。万延元年(186…

当別 Ⅱ

(東浦墓地) 従六位伊達邦直之墓 東浦墓地に、伊達邦直、吾妻謙主従の墓がある。この墓地も非常に広い。管理事務所の前に彼らの墓があるので、それを目指して行けば、見つけやすい。 伊達邦直は、仙台藩一門岩出山一万六千石の領主。戊辰戦争後の明治二年(…

月形 Ⅱ

昨年の春以来、一年半振りの月形である。例によって月形樺戸博物館を訪れたのは開館時間前だったので、拝見は適わず。博物館のそばに月形潔の胸像と顕彰碑が並べて置かれており、その写真を撮って次の史跡へ急いだ。 月形潔は、弘化三年(1846)、月形健…

浦臼

(札的墓地) 坂本家の墓 坂本龍馬の養嗣子坂本直(龍馬の長姉千鶴の長男高松太郎)の妻留(とめ)と二男坂本直衛の墓である。彼らは、明治三十二年(1899)に高知から出て、当時浦臼にいた坂本直寛のもとに身を寄せている。 聖園創祖 前代議士武市安哉…

旭川

前日、陸別における車中泊で睡眠不足に陥ったので、この日は旭川の健康ランドで横になることにした。三千円ほど払うと、浴衣やバスタオルなどを貸してもらえる上に、リラックスルームで一晩を過ごすことができる。 リクライニング可能な椅子が並べられたリラ…

白糠

(白糠公民館) 史蹟 白糠運上屋跡 江戸時代初期、松前藩は場所請負制度を創設し、各地に商場(あきないば)を設け、のちにこれを商人(場所請負人)に請け負わせ、運上屋の設置を義務付けた。運上屋は場所の行政的・経済的施設として拠点となる位置におかれ…

根室

(西浜墓地) 梶原平馬の墓 今回の旅、というか、私の史跡訪問の旅において、現時点で国内最東の史跡が根室である。釧路から距離にして百三十キロ離れており、今回訪問するかどうか迷ったが、なかなかここまで来る機会もないし、天気も良いし、時間もあるし……

釧路

(鳥取百年館) 北海道は維新後開拓された大地である。各市町村に開拓の歴史がある。その歴史を全て追うのはとても煩雑である。釧路の東に広がる鳥取という地名は、まさに鳥取藩士が開拓に関わったことに由来する。 釧路鳥取城 釧路鳥取城は、本家本元の鳥取…

阿寒

(阿寒湖) 特別天然記念物まりもで有名な阿寒湖は、釧路市の一部である。この日は天気もよく、湖面の青も一際美しかった。 時間が許せばしばらく湖畔でぼんやりしたいところだが、私にはまだ回らなければならない史跡が山ほどあったので、先を急いだ。 阿寒…

陸別

(オーロラタウン93りくべつ) 今回の北海道史跡旅行の最大の目的は、関寛斎終焉の地である陸別を訪問することにあった。 野球大会の翌日は、壮瞥、伊達、室蘭、白老、鵡川を走破し、日没を迎えて道東道をひたすら東に向った。この高速道路は街灯が少なく…