2026-01-01から1年間の記事一覧
来年のNHK大河ドラマは「逆賊の幕臣」。主人公は小栗忠順である。来年の大河ドラマに向けて小栗忠順関連本が書店に並び始めた。本書が(私の知る限り)その第一号である。本書では、小栗の業績を評価するため三点を取り上げている。一つ目が万延元年(1…
関川村の道の駅で入浴した後、村上市の道の駅神林(穂波の里)へ移動して、この日はここで宿泊。 道の駅 神林からの風景 何もない場所であったが、日本の原風景ともいうべき風景に癒される。 (大雄寺) 大雄寺 会津藩無名戦士の墓 慶応四年(1868)八月…
(榎峠) 国道113号線の片貝トンネルの手前に榎峠への登り口がある。熊除けの鈴を装着し、杖の代わりに一脚を手に出発した。 まず登り口の雑草が刈られておらず登山道に達するまでに一苦労。前途多難が予想された。登山道は整備されているところもあれば…
(百塚) 今回の新潟の旅は十五年前に新潟県下の史跡を巡った際に回りきれなかった、或いは場所を特定できなかった史跡をリベンジする旅でもある。胎内市では百塚を訪問する。 百塚 この付近一帯は、戊辰戦争の戦場となり、戦後多数の死体が散乱していた。そ…
(宝積院観音堂) 聖籠町諏訪山の宝積院観音堂に新発田藩儒者大野耻堂(敬吉)の墓がある。 購入した虫除けスプレーをたっぷり吹きかけて墓地を歩いたが、藪蚊は何事もなかったかのように攻撃してくる。 宝積院観音堂 耻堂大野先生之墓 大野耻堂(ちどう)は…
(蓮昌寺) 蓮昌寺 谷五三兵衛政俊墓 谷五三兵衛は、新発田藩。兵卒。慶應四年(1868)八月七日、越後中条にて戦死。四十七歳。 (和菓子菊谷) 和菓子菊谷 菊谷は御水飴で有名な老舗菓子屋である。有栖川熾仁親王の妃、董子は新発田藩主溝口直溥の娘で…
(荒川) 新発田市荒川の旧三国街道沿いの民家の前に明治天皇荒川小休所碑が建てられている。 明治天皇荒川御小休所 付御膳水 (永見寺) 永見寺 大臣儀忠信士(清田常蔵の墓) 清田常蔵は新発田藩兵卒。慶應四年(1868)九月二日、会津赤岩峠にて戦死。…
(巻菱湖記念時代館) 巻菱湖記念時代館は営業日のはずだがシャッターが下りている。呆然と立ち尽くしていると、運営会社の方らしき男性がやってきて声をかけてくれた。その方の説明によればコロナで閉館して以降、営業していないのだそうだ。 「ホームペー…
(新崎) 北区新崎二丁目の県道3号線沿いに明治天皇新崎御小休所碑が建てられている。 明治天皇新崎御小休所 (太古山日長堂) 日長堂 太古山日長堂には明治天皇が滞在した建物や仏蔵が保存され、仏蔵には明治天皇の騎馬像や山岡鉄舟が下賜された杖などが保…
(神尾弁当) 神尾弁当 JR信越線新津駅前に神尾弁当がある。神尾弁当を経営する神尾家は代々会津藩に仕える家系で、十一代神尾左仲は、京都守護職に就いた藩主容保に従って上洛し、蛤御門の変でも活躍した。戊辰戦争で敗れて一時斗南に移住したが、明治三…
(中原邸) 中原邸 中原家は、江戸後期、二十四代当主久成の時、江戸城本丸普請や第二次長州征伐など幕府への献金を行い、その功績により苗字帯刀を許された。 明治十一年(1878)九月十六日、明治天皇が北陸巡幸の際、中原邸で昼食をとった。当時使用さ…
(白山神社) 白山神社 戊辰の松 戊辰戦争では白山神社境内でも砲弾が飛び交った。その時の弾痕を留め、皮一枚になって生きていた松が「戊辰の松」と呼ばれ存続していたが、昭和四十年(1965)の台風で折れてしまった。現在見られる松は、その後新たに植…
(護国神社つづき) 八木朋直翁之像 新潟護国神社の鳥居脇に八木朋直の像がある。 八木朋直は米沢藩の出身で、戊辰戦争後、越後府に赴任し、新潟県会計課長として県財政の建て直しに尽力した、退官後は国立第四銀行頭取、市県議会議員、市会議長、市長、市教…
(船戸橋) 新潟市西蒲(にしかん)区峰岡周辺はかつて三根山藩領であった。 三根山藩では、船戸橋の脇に船着き場を設け、その近くに蔵屋敷を置いていた。三根山藩というと「米百俵」の逸話で有名だが、その米もここから積み出され、矢川、西川、信濃川を経…
(赤坂山古戦場跡) 阿賀野市草水の国道49号線沿いに戊辰戦争時の赤坂古戦場跡がある。 赤坂山古戦場 慶応四年(1868)七月二十五日早朝、新潟太夫浜に新政府軍が上陸し、同二十七日、佐々岡、水原で激戦が行われ、交代した同盟軍隊長水原奉行萱野右兵…
(諏訪峠) 嘉永五年(1852)二月八日、宿を出て間もなく降り始めた雪の中を津川まで出た吉田松陰らは、新潟に近い阿賀野川沿いの道(現在の国道49号)ではなく、迂回して新発田へ向かう道を選んだ。 現・国道49号のルートは、道が険しく、積雪の季…
(安養寺) 安養寺 安養寺には、粛清された勤王派の下野勘平と、彼らを弾圧した家老堀右衛門三郎が眠る。しかも、両者の墓はとても近い場所にある。 堀右衛門三郎の墓 堀右衛門三郎は、二千石の筆頭家老。戊辰前尊攘派を弾圧した罪に問われ、明治二年(18…
翌日の活動を考えると、加茂市周辺で宿泊するのが適当であったが、入浴施設が離れていたこともあり、少し北上して田上で入浴・宿泊することにした。 田上町で利用した日帰り入浴施設は「ごまどう湯っ多里館」といって入浴料は七百円(午後五時以降は六百円)…
(加茂山青海神社) 新潟県の旅四日目は加茂市内の青海(あおみ)神社からスタートである。 青海神社 青海神社は神亀三年(726)に青海首(あおみのおびと)一族により創建されたと伝わる。 明治十一年(1878)九月の明治天皇巡幸の際、青海神社社司…
(泉薬寺つづき) 前回(十五年前)は突然の雨により、泉薬寺の村山半牧の墓を諦めたが、今回も今にも雨が降り出しそうな空模様だった。泉薬寺を訪ねると、探すまでもなく本堂前に半牧の墓があった。墓石の文字は、交友のあった富岡鉄斎による。 半牧方士之…
(麓) 弥彦村麓は、燕市との境界が近い。ここに大きな屋敷があり、その前に明治天皇麓小休所碑がある。 麓 明治十一年(1878)九月十五日、北陸東海巡幸の際、明治天皇が当地で小休をとった。 明治天皇麓小休所 (弥彦神社) 弥彦神社は、天照大御神の…
(見附市中央公民館) 見附市中央公民館(旧・見附小学校)には、明治天皇行在所の一部が再現され、建物沿いに石碑がある。 傍らにある解説によれば、「この部屋は、明治十一年九月二十二日、明治天皇北陸御巡幸の際に設けられた見附行在所のうち、昼食を御…
(宝珠院) 宝珠院 百束町の宝珠院には、長岡藩士渋木成三郎の墓がある。 浄明院殿素光入阿居士(渋木成三郎の墓) 渋木成三郎は、藩校崇徳館出身の逸材で、河井継之助の股肱の一人であった。長岡城落城後、杉沢村にて戦傷を負い、庵寺で養生後、城下に潜入…
(山田) 明治天皇山田小休所阯 寺泊山田地区の十二社神社近くにある明治天皇山田小休所阯碑である。 (照明寺) 寺泊の照明寺は、永承二年(1047)、高野山龍光院の僧侶がこの地に庵を結んで観音像を安置したのが始まりという古刹である。本間源左衛門…
(住雲園) 住雲園 当地は旗本稲葉氏の采地で、稲葉氏は定府であったため、久須美氏を代官としていた。弥彦山を借景とする住雲園は、久須美家十六世六郎左衛門政信が享保二年(1717)に手掛けた庭園である。当時の建物は戊辰戦争時に焼失し、現在見られ…
(徳昌寺) 新潟県の旅、三日目は与板からスタートである。与板徳昌寺には与板潘出身の松下俊之助の墓がある。 徳昌寺 徳昌寺は、文明十一年(1479)、直江家の開基により創始され。以来上杉家の帰依、直江家の菩提寺として栄えた。上杉家、直江家の会津…
(長岡赤十字病院) 長岡赤十字病院の東の信濃川土手上に三島億二郎の像がある。向かいのショッピングモールに自動車を置いて、三島億二郎像を訪ねた。 三島億二郎像 長岡城の方を指さしているという。三島億二郎は、長岡赤十字病院の設立にも関与しており、…
(悠久山公園つづき) 前回の悠久山公園訪問から十五年。前回見逃した石碑を訪問した。正確な地図がなく、公園内を歩きまわるはめになった。汗だくになった。 以成粛雍之徳 「成ヲ以テ粛雍ノ徳」と読む。成長するに従って慎み和らぎ徳が備わる、という意味。…
(曹源寺) 曹源寺 加州藩 大橋佐平次霊 大橋佐平次は、金沢藩。大砲方伍長。慶應四年七月二十七日、越後下来伝村で戦死。二十歳。 (西厳寺) 西厳寺 西厳寺にて会津藩士の墓を探したが、なかなか見つけることができない。それらしい墓の写真を竹さんに送っ…
(長生橋東詰) 信濃川沿いは、長岡花火大会の観覧席が設けられていた。大会が近づくにつれ大混雑が予想されたので、とにかく早くこの周辺の史跡を回っておきたかった。長生橋に行ってみると ――― 花火大会とは無関係に ――― 長期補修工事中で、自動車での通行…